
2025年2月号 日々の思い 「富岡養護学校の帰還」 特別支援教育課長 根本 健一(ねもと けんいち)
私は、東日本大震災を県庁の西庁舎9階で経験しました。教育庁特別支援教育課に指導主事として勤務しておりましたが、交通や通信の一部が遮断された中で、県内の特別支援学校と連絡を取り合うことに皆が苦労しました。特に、原発事故があり避難を余儀なくされた「富岡養護学校」とは、ようやく平成23年3月13日(日)に、いわき養護学校で門馬栄教頭先生とお会いでき、現状の確認と今後の対応について話をしたことを覚えています。それから13年が過ぎ、いわき市に避難していた富岡養護学校(現、ふたば支援学校)が双葉地区に帰還しました。このことは、多くの人の「思い」と「努力」があり、その積み重ねが実現への力になったのだと考えます。
私が初めて赴任した学校は、富岡養護学校でした。一緒に働いた先輩からの今年の年賀状に、懐かしい風景が書かれていました。
『富岡養護学校は、蛇谷須集落(へびやすしゅうらく)を通る道沿いに細長く建っていた。近くにある東洋学園<障がい児入所施設>まで、子どもたちを送り届けることが日課だった。学校の裏山から学園まで500メートル程続く林道には、カタクリの群生地が広がり、エゾタンポポやショウジョウバカマが咲き誇っていた。時には栗鼠(りす)に逢うこともあった。学園は西に阿武隈山地、東に太平洋を望む小高い丘にあり、子どもたちを送り届ける時間には決まって太平洋沖をサンフラワー号がゆっくりと北上していった。』
巳年にあたって、学校の「再生」を願う思いが込められたものでした。

今年の1月22日(水)に、「ふたば支援学校新校舎落成式」を行いました。式の中で子どもたちが歌った新しい校歌に、参加者の皆様から大きな拍手がわき起こりました。歌詞の一部に『さあ ともに歌おう、さあ ともに笑おう、さあ ともに学ぼう、さあ ともに歩もう』とあり、未来に向けた思いがあふれていました。

ふたば支援学校は「地域とともにある学校」として、子どもたちと教職員が、日々の学習を生き生きと続けることで、また、ここから次へと「思い」を引き継いでいくでしょう。