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「御舘(みたて)校のことなど」                   特別企画 令和5年度教育者表彰(文部科学大臣表彰)受賞者寄稿            鈴木 芳人(前 安積高校校長)       

 私は、令和6年3月31日、安積高校での勤務を最後に退職いたしました。昭和61年、大学を卒業して都立高校教諭となった日に始まり、日々の課題に向き合い過ごした38年間の教員生活でした。この間、県教育委員会での期間を除き7校に勤務しましたが、少子化の進行など教育を巡る状況は著しく変化し、また、管理職になって以降は、東日本大震災・原子力発電所事故に始まり、相次ぐ地震、豪雨災害そしてコロナ禍と、その都度、対応に追われることが続きました。良き同僚や生徒諸君との出会いに恵まれ、職を全うすることができたこと、感謝しかありません。

 勤務した学校それぞれも変化の例外ではなく、校名が変わった学校、のみならず無くなってしまった学校もあります。私が最後の校長となった安積高校御舘みたて校は、令和4年3月をもって閉校となりました。昭和23年、田村高校御舘分校として開校以来74年間、歌舞伎で知られる郡山市中田町柳橋の地に在って、卒業生は2,394名を数えました。その校史には、地元の方々を始め、多くの先人の熱い思いが脈々と刻まれております。

 御舘校設立に際しては、地域の方々が子弟教育の重要性に思いを馳せられて運動し、その熱意が県当局に通じ開校に至りました。開校初期、学校存続のために在校生自らが近隣の後輩宅を訪問し、入学勧誘を行ったなどの逸話は、戦後の新しい社会に躍動しようとする若者のエネルギーを見る思いです。安積高校への移管、定時制から全日制課程への転換など、幾多の変遷を見てきたその校舎は、より良い環境で生徒に学んでもらいたいと願う地域の総力を挙げての支援があって建設されたものでした。 近年は生徒数が減少し、最後の卒業生は10名でした。彼らは令和3年度のコロナ禍の中で、少人数の利点を活かして最後の公開文化祭「すみれ祭」を実現し、また、新潟県で開催されたインターハイ全国大会の新体操競技に体操部の男子が出場、中田町の方々から贈られたレオタードを纏って堂々の演技を見せ、学校のフィナーレに花を添えました。

 校長として閉校に携わり、御舘校の歩みを知るにつけ、かつて我々の先達が有していた学びへの渇望や、地域の方々が学校に寄せる想いを感じ、教員生活の終盤に教育の不易たることについて改めて考えさせられる、そんな貴重な経験をさせて頂きました。