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ふくしま教育通信 2023年7月号           日々の思い「名古屋で感じた福島とのご縁」 職員課長 佐藤 敏行

 今年4月から職員課勤務となりました。
 前任は名古屋事務所で、3年前、名古屋、東海地方についてほとんど知識のない状態で赴任したのですが、実は、福島とのご縁が数多くあることがわかりました。ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、いくつか紹介します。

「高須四兄弟」

 美濃国高須藩(現在の岐阜県海津市)の高須松平家は、尾張徳川家の分家として高い格式を持ち、本家に跡継ぎがない場合、高須松平家の当主が本家の当主を継ぐ役目を担っていました。
 幕末において、高須松平家から徳川慶勝(よしかつ)(慶恕)、徳川茂徳(もちなが)が尾張藩主となり、松平容保(かたもり)が会津藩主に、松平定敬(さだあき)が桑名藩主となり、それぞれ幕末の幕府政治に重要な役割を果たしました。幕末に活躍した高須藩松平家出身のこの四人が「高須四兄弟」として知られています。
 戊辰戦争では、松平容保、定敬が旧幕府軍として戦いましたが、徳川慶勝、茂徳は新政府軍側に味方する道を選び、四兄弟は敵味方に引き裂かれました。

名古屋城 (左:「天守閣」、右:重要文化財「東南隅櫓(すみやぐら)」)

「郡上藩凌霜隊(ぐじょうはん りょうそうたい)」

 郡上藩(現在の岐阜県郡上市)は、幕末の動乱の中、新政府軍側に付くこととしたものの、佐幕派の一部藩士が脱藩して凌霜隊を結成し、旧幕府軍と行動を共にしました。やがて北関東から会津に入り、会津藩とともに若松城に籠城して新政府軍と戦いました。会津藩降伏後は郡上藩に移送、監禁された後、赦免(しゃめん)されますが冷遇され、離散したと言われています。
 郡上八幡城では、凌霜隊の会津での戦いが紹介されているほか、慰霊碑が建立されています。

郡上八幡城

 名古屋事務所在任中は、東海地方において、様々な企業、団体等の皆様とお会いして、福島の復興を応援していただいている方や、福島と積極的に交流している方、福島ファンの方などが多くいらっしゃることがわかりました。まさに様々なご縁を実感することができました。
 福島に思いを寄せていただいている皆様のためにも、福島が「被災の地」から「希望の地」「復興の地」へと変わっていく姿をお見せできるよう、引き続き尽力したいと考えております。
(執筆:職員課長 佐藤 敏行(さとう としゆき))