震災の記憶を伝える意義とその可能性〜日本道徳教育方法学会研究発表大会より〜
テーマは「震災の記憶と道徳教育」
令和5年6月10日(土)、11日(日)に郡山市にある日本大学工学部で第29回日本道徳教育方法学会研究発表大会が開催され、全国から道徳教育の研究者や学校現場で実践されている教育関係者が集いました。コロナ禍で3年間開催されなかったこの学会が4年ぶりに、開催されました。ここ「福島」の地で、道徳教育についてどのような議論をするのか?取材してきました。
大会初日には、東京大学の山名淳氏と九州大学の鈴木篤氏をシンポジストに、国立教育政策研究所の西野真由美氏と学校法人いわき秀英学園小中高等学校長(元いわき市教育委員会教育長)の吉田尚氏を指定討論者として、郷土への思いを継承していく教育の可能性についてシンポジウムが開催されました。震災当初、私たちのふるさと「福島」は、「フクシマ」「ふくしま」「Fukushima」などの表記がなされ、震災と原発事故が生じた悲劇の地といして扱われることがありました。それは本来ふるさとが持つ豊かで前向きな意味でないこともしばしばでした。
シンポジウムでは、「福島」を言語学の用語である「シニフィアン」(特定の記号表現)と「シニフィエ」(その記号表現によって思い起こされる意味内容)を用い、本来多様なシニフィアンとシニフィエを持つべき「福島」に対して固定化されたイメージを与えてしまうことに留意しつつ、被災地「福島」に対する私たちの思いの多様性を十分に理解しながら、ふるさと「福島」への思いを伝えていく必要があることが議論されました。
吉田氏は、震災当時、福島県教育委員会に勤務されており、平成25年3月に「ふくしま道徳教育資料集」の第Ⅰ集を発行した際の、義務教育課長としての思いをお話されました。未曾有の大震災に加え、原子力発電所の事故で多くの児童生徒が避難を余儀なくされ、放射線被ばくの不安が拭えない中、風評や偏見で子どもたちのみならず多くの福島県民がつらい環境に置かれた中、「教育の復興は心の復興から」という信念のもと、道徳教育を推進していったそうです。
震災直後、教師も子どもたちも被災者でした。12年が過ぎ、今や震災の実体験のない子どもたちに対して震災を体験した大人たちがその体験を伝える「証言の時代」なのかもしれません。直接的な「被災者」としての子どもはどんどん少なくなってきますが、将来何らかの災厄が降りかかるかもしれない「未災者」でもあります。そのような未災者である子どもたちへ文化的記憶としての教材を用いて、コミュニケーション的記憶として授業を行うことで、新たな文化的記憶の一部になり、まだ見ぬ未来の人々に向けた文化的記憶の共同構築というイメージで捉えることができるという可能性(山名氏の資料より)を、このシンポジウムでは示唆してくれました。
自分が知らなかった世界で、初めて考えさせられたこと~「塩むすび」のエピソード
ところで、冒頭のサムネイル画像、どうして「おむすび」だったか、気になった方いらっしゃいませんか?実は、当日の昼食は「防災塩むすび弁当」。先述の「ふくしま道徳資料集第Ⅰ集」に「塩むすび」のお話が掲載されているのです。
2日目の自由課題研究発表では、「ふくしま道徳教育資料集」と「塩むすび」の舞台で避難所となった学校の元校長先生の講話を組み合わせた実践が、田村市立常葉小学校から報告されました。
また、実践報告では、「震災」の記憶を風化させず、子どもたちの「生きる力」を育むと題した課題研究の報告があり、この「塩むすび」を題材に道徳の授業に取り組んだ福島市立松陵中学校の発表もありました。
「ふくしま道徳教育資料集」三部作
「ふくしま道徳教育資料集」はその後、第Ⅱ集、第Ⅲ集が作成され、三部作として県内の公立学校で活用されることになりました。
福島県教育委員会では、震災から11年経った令和4年度からスタートした第七次福島県総合教育計画の施策4に「福島で学び、福島に誇りを持つことができる『福島を生きる』教育を推進する」を掲げ、主な取組として「東日本大震災・原子力災害の教訓の継承、福島の今と未来の発信」を掲げています。
なぜ、私たちは震災と原子力災害の教訓を継承するのか?震災直後に作成されたこの資料集を振り返り、震災の未災者である子どもたちへどのように伝えていくのかを考えるきっかけにしてはいかがでしょうか?
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