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【開催報告】 進路で悩む前に聴いてほしい話 X-TALKを開催しました!          @福島テルサ

 県北地方振興局は、地元で働くゲストと高校生との座談会を開催しています。今回は令和6年12月8日に福島市のキョウワグループ・テルサホールで開催した座談会の様子を一部紹介します。当日はファシリテーターに東邦銀行の木村信綱さん、ゲストに福島市の株式会社文化堂常務取締役・尾形純江さん、伊達市の株式会社MR4G (エムアールフォージェネレーション) 代表取締役・滝澤由希さん、福島市の株式会社ユアライフ専務取締役・紙谷瑞恵さん、社会福祉法人北信福祉会ハッピー愛ランドほばら施設長・津田みどりさん、YUMORI ONSEN HOSTELマネージャー・渡邉萌さん、「甘食・茶屋結 (ゆわえ) 」オーナー・佐々木隆行さん、JAふくしま未来営農経済部係長・齋藤美秀さん、株式会社東邦銀行公務・地域商社事業課長兼相双新産業推進室長・村上崇広さんの8人をお迎えしました。主催の福島県職員、運営・事務局の福島民報社の社員もトークに加わり、高校生10人が進路や働くことの意味、働く人たちの本音、仕事に就いたきっかけなどについて聴きました。

1 まずは自己紹介

 今回は、地元で働く社会人の先輩8人に、進路選択とどのように向き合い、乗り越えてきたか等を本音で語っていただきます。

ゲストの皆さん、意気盛んな様子

尾形さん

 この会場の近くにある文化堂に勤めています。文房具とベーグルを販売する会社です。

滝澤さん

 私は福島市の隣の伊達市でセブン−イレブンを3軒経営しています。

紙谷さん

 私どもの会社は南福島で介護事業所を運営しています。認知症の人が入所するグループホームとデイサービス、小規模のデイサービスを3つ手掛けています。

津田さん

 私は北信福祉会の特別養護老人ホームで施設長をしています。北信福祉会は老人福祉領域の事業所を運営している法人です。保育園や来年度に認定こども園になる事業所、障がいのある子どもが通う施設もあります。

渡邉さん

 福島市の土湯温泉で、株式会社山水荘と別館YUMORIの2社を運営しています。

佐々木さん

 福島市の県立美術館そばで、日本唯一の甘食(あましょく)専門店というちょっと変わった仕事をしています。

村上さん

 東邦銀行の本店で、主に福島県内の企業のお手伝いや、県や市町村と一緒に地域を良くするための仕事をしています。

齋藤さん

 私が勤めるJAは農業、金融、保険に携わる仕事のほか、ガソリンスタンドの経営など、地域の皆さんの暮らしを豊かにする事業を展開しています。

2 高校生の頃から今の仕事を目指していた?

 皆さんは高校時代に進路選択や職業選択をどのように考えていたのでしょうか。

尾形さん)文化堂は実家なのですが、弟がいたので、後を継いでほしいという話はありませんでした。高校2年の時にアメリカに留学し、ホストファミリーのお父さんがコンピューターの先生だったことから、コンピューター関係の仕事に興味を持っていました。

滝澤さん)私は中・高ずっと吹奏楽部に所属していて、部活のことしか頭にありませんでした。なんとなく音楽の世界で生きたいという希望はありましたが、尊敬していた先輩が音大の受験に失敗し、上手な人でも音大には行けないのだと思ったらショックで……。そんな時に「大学に行ってから何になるか決めてもいいんじゃないか」と担任の先生にアドバイスされ、私は本を読むのが好きだったので、指定校推薦で国語国文学科のある大学へ進学しました。ただ、文学を生かした仕事に就きたいかというとそうでもありませんでした。結局、好きなものはただ好きなだけで、仕事に結びつくかというと、そうでもないというのが率直な感想です。

紙谷さん)親が看護師で、親戚も医療関係の職業が多かったので、自分も同じ道に進むのかなと思っていました。進路を決める時に作業療法士の資格を知り、学んでみたいと思ったことが福祉の仕事を選ぶきっかけになりました。

津田さん)幼稚園生の頃から保育士になりたいという夢があり、高校時代は障がいのある子どもに関われる保育士になりたいと思っていました。

渡邉さん)親は大学や短大を出て社会人になることを望んでいましたが、私は美容系の専門学校に行きたいと思っていました。結局、自分と親の希望する中間の進路を選んで仙台にある服飾系の短大に進みましたが、もし高校3年生の頃に戻れたら、親を説得して美容系の仕事に挑戦すると思います。

佐々木さん)実家は自営業で、親は継がせようとしていましたが「本当に継ぐのかな」と思っていました。首都圏の大学に進学しましたが、当時の世の中は、良い学校に行って良い会社に入れば勝ち組という雰囲気でした。

村上さん)銀行員になるとは想像していませんでした。当時は職業体験がなく、インターネットもない時代だったので、仕事について知る機会がそもそもありませんでした。

齋藤さん)今の私は、高校時代にぼんやりと思い描いていた姿に近いです。私は小さい頃から飲食店を経営している父の背中を追いかけていました。やがて食に携わる仕事をしたいと思うようになり、栄養士の勉強をするために福島学院短大の食物栄養学科に進みました。実は、もう1つ理由があって、短大にいる先生(ファシリテーターを務めている木村さん)と一緒にバンドがしたかったからです。

 お話を伺うと、きっかけひとつで将来が大きく変わることもあるようです。

ゲストの皆さんには、高校生時代のエピソードも交えながら、熱く語っていただきました。

3 今の仕事を選んだきっかけは?

 ゲストの方のお話を伺うと、ほとんどの方が高校生の頃は今の仕事を意識していませんでした。何がきっかけで今の仕事を選んだのでしょうか。

──業種にこだわらず就職活動した結果──
村上さん)銀行のほか百貨店などの小売業、通信業など、業種にこだわらず就職活動をして、今の銀行に採用されました。

──転職の結果──
齋藤さん)短大を卒業後に食肉卸の会社に就職し、7年間、鶏肉の加工と販売に関わりました。その会社に不満はありませんでしたが、次は野菜について勉強したいと思うようになり、JAに転職しました。転職することで自分の視野が広がった実感があります。

津田さん)学校を卒業後、障害者施設に10年勤めました。当初、県の保育士(臨時職員)と障害者施設の職員(正職員)の話があって迷いましたが、正職員であることから、やりたいことができるのではと思って障害者施設で働くことを決めました。その間に結婚したのですが、主人が体調を崩したため、家から近い現在の職場に転職しました。

──家族の頼みで家業を継いだ──
尾形さん)仙台の企業に就職する予定でしたが、父が病に倒れ、弟もまだ高校生だったことから、急きょ福島に戻って家業を継ぐことになりました。

佐々木さん)大学時代のアルバイト経験から手に職を持ちたいと思い、卒業後もアルバイトを掛け持ちして色々な仕事を経験しましたが、親から突然「新規プロジェクトがあるから戻ってきて手伝ってほしい」と連絡が来て、福島に戻りました。社名は昔と同じですが、今は当時とは別なことをする会社になりました。

渡邉さん)服飾系の短大を卒業後、郡山市の洋服店で働きました。その後、東日本大震災を経験して人生観が少しずつ変化していき、一度きりの人生だからやりたいことをやろう!と思い、横浜市で働くことになりました。私も佐々木さんと一緒で、家族から「新規プロジェクトがある」と連絡が来て、福島に貢献できるんじゃないかとの思いもあり、帰ってきました。

紙谷さん)作業療法士として病院や老人保健施設に勤め、結婚を機に浜通りに移り住みました。その頃に母が浜通りで介護事業所を開業し、手伝うことにしました。元々作業療法士の資格で働ける職場を探していたので、資格を持っていると職場の選択肢が広がるので就職には有利だと思います。また、元々おばあちゃん子だったので高齢者施設で働くことは好きでした。好きなことをいかして、続けていくことも重要だと思います。

──家業の手伝いを経て、起業の道を選んだ方も!──
滝澤さん)実は一度も就職したことがないんです。その代わり二度、起業しています。一度目は特殊な配送と学習塾を手がける会社で、二度目が現在のセブン−イレブンを運営する会社です。もともと父がセブン−イレブン、母が運送会社を経営していて、大学を卒業後に親の会社を手伝っていたという経緯がありました。会社を立ち上げて、自分で動かしていくこともおもしろいと思います。自分には合っていました。

 今の仕事を選んでよかったと思うことも聞いてみました。

齋藤さん)JAは約2000人の従業員がいます。たくさんの人と出会える楽しみがあります。

村上さん)就職活動をしていた当時は、福島に貢献したいという熱量がありませんでしたが、いろいろなところに転勤し、たくさんの人と出会ったことで、福島県の各地域の良さが分かるようになりました。東邦銀行では、県内各地に店舗があるため転勤がありますが、その土地の良さを体感できるメリットもあります。一方で、地域を限定して働くことも可能なので、地元で働きたいと思う方も入りやすいです。

滝澤さん)自分で会社を経営すると、自分が理想とする会社、職場環境を作ることができます。高校生の皆さんには、将来、就職するだけではなく、起業も選択肢の1つであることを知ってほしいです。

 転勤は、大変な面もありますが、福島県の各地域に出向いて、その土地の良さを実感できるメリットもあります。また、今は、転勤しない働き方も選べます。自分のライフスタイルに合った選択をすることも大事ですね。

参加した生徒さんも熱心にお話を伺っています。

4 先輩に質問!

  参加した高校生から質問をいただきました。先輩たちが全力で答えます!

生徒A 大学で学んだことと今の職業が違う人がいましたら、学んだことが職業に結び付かないことで大学に行った意味があったのか、また何か学びがあったのか聞かせてください。

福島民報社・宗像さん)大学では経営学を学びました。報道やジャーナリズムに関する学部ではありませんが、大学に行ったことに意味がなかったわけではありません。大学は座学だけではなく、知らない地域で生活するということも学びの一つです。それが今の仕事にも結び付いていると信じています。

福島民報社・塩野さん)私はハンガリー語を勉強しました。研究したことや学びが生きる機会はほとんどないというのが現実ですが、学生時代を振り返ると、サークル活動やアルバイト、大学でできた友人など、進学して得たものが今につながっていると感じています。

大学は職業人を育てるというより、研究をするための機関です。社会に出てから役立つための勉強をするところではありませんが、大学生活を通して学ぶことがあります。見識を広げるという意味で無駄ではないといえるでしょう。

生徒B 起業をしたり家業を継いだりした人がたくさんいらっしゃいますが、経営の不安、人を雇う不安はありますか。その不安は仕事をしていく過程で払拭されますか。

滝澤さん)私一人では、会社の経営は成り立ちません。労務関係は社労士、法律関係であれば弁護士、税務関係は税理士と、専門家のサポートを受けています。また、私の会社はアルバイトから社員までグループLINEで情報を共有しています。店舗の状況から改善点など意見をもらっています。

渡邉さん)温泉旅館などの観光業は、社会のトラブルや自然災害などに巻き込まれがちな業種の1つです。最近だとコロナ禍がありました。コロナ禍などの変化にどれだけ対応できるかが重要です。そして、観光業はお客様に感動して帰っていただく仕事だと思っています。お客様の需要の変化に応じて新しいサービスをいち早く取り入れることで、生き残る道があると感じています。

 大学生活は、勉強だけでなく、「社会勉強」にもなるようですね。

X-TALK終了後には、ゲストの方と直接話を聴く時間もありました。みなさん、真剣です!

5 最後に

 本日の話を振り返ると、高校時代はノープランだったという人が結構多かったですね。「進路のことなんて全然考えていなかったよ」という人でも、今は立派に仕事をしています。
 皆さんの前にはたくさんの扉があります。進路選択の唯一絶対のルールは「チャンスがあったら扉を開けてみること」だと思います。やってみて初めて気が付くことの連続です。向いていなければまた別な扉を開ければいいのです。まずは扉を開けて、いろいろな体験をしてみてください。